■上戸彩さんを悩ませる子供のお弁当
年末年始の予定は、決まっただろうか。
家族が集まる機会の多い、この季節、せっかくだから、と、手作り料理に精を出す人も多いのかもしれない。
まとまった休みだけではなく、「手作りこそ良い」という圧力は、普段の生活のほうが強い。
栄養バランス、好き嫌い、分量だけではない。
インスタをはじめとするSNSで見栄えが良いような飾り付けまで求められる。
それが、いまのお弁当作りだからである。
女優の上戸彩さんは、今年2月に出演したテレビ番組「櫻井・有吉 THE夜会」(TBS系)で子どものお弁当作りについて「緊張で眠れなくないですか? 明日どうしようかと思って」「(学校の)先生に見られているんだよなぁというのも気にしている」と明かしている。
職業が女優であれ何であれ、2人の子どもを抱える親を不眠に追い込むほどのプレッシャーを与える理由は、どこにあるのか。
■「父親のお弁当作り」が注目を集めている
こうした空気は、昔からあったし、昔のほうが当たり前とされていたのかもしれない。
近年、この雰囲気が強まっているように感じる理由、とりわけ母親がそう感じる背景には、「父親」の活躍があるのではないか。
たとえば、ヒップホップグループTOKYO No.1 SOUL SETのギタリスト渡辺俊美氏による『461個の弁当は、親父と息子の男の約束。』が挙げられる。
渡辺氏が離婚した後に、3年間、一人息子が高校に通う際のお弁当=461個を作り続け、それをTwitter(現X)に写真やレシピなどとともにアップした。
マガジンハウスから単行本に、翌年にはNHKでのドラマ、その6年後の2020年には井ノ原快彦氏の主演で映画化されている。
お弁当作りに慣れていくプロセスだけではなく、父親と息子の心あたたまる交流の記録でもあり、離婚を悲しいと感じさせず、また逆に、汗と涙の結晶といった押し付けがましさもない。
淡々としつつ、でも、愛情が込められている。飄々としたタッチが、多くの読者の共感を呼んだ。
こうした、一見すると軽い感じが、特に母親にとっての「圧」になっているのではないか。
■なぜ母親たちは「お弁父」を求めるのか
女性向けファッション&ライフスタイル雑誌『VERY』のウェブサイトは、今年4月、「パパが作る『お弁父』続けるための4カ条とは?」と題した記事を掲載した。
著名な料理家・平野レミ氏の息子であり「準食学士」を肩書きとする和田率さんが教える4つのコツを紹介している。「これさえあれば安心の鉄板コンビをおさえておく」をはじめとする4項目は、読む人によって難易度が違う。
注目したいのは、この記事が、主に女性を読者とするサイトに掲載されているところである。
「お弁父」という名付けからも、和田氏は「父親が作る」点に意義を見出している。お弁当は母親が作るもの、という固定観念を想定して、それをひっくり返そうとした。
そうであれば、わざわざ女性向けの記事が取り上げる必要はないし、ターゲットが異なる。「父」が作るのなら、「母」である女性には縁がないはずである。
女性に読まれると想定して載せたのは、女性にとってこそ「お弁父」が求められているからではないか。今もなお、いや、今は根強く、「お弁当」は母親が作るものとの思い込みがあるために、この記事が求められているのではないか。
そこには2つの理由がある。
■手軽なのに、子供から高く評価される
ひとつは、単純に、お弁当を作ってくれる「父」を求めているからである。
国立社会保障・人口問題研究所の調査によれば、家事の分担割合は、「妻80.6%、夫19.4%」と大きく開いている。
特に「炊事」の頻度は、「毎日・毎回」が妻86.5%に対して、夫はわずか6.6%である。しかも、「炊事をまったくしない」と答えた夫は50.4%に達する。夫の残り半数のうち、「月1~2回」が19.0%、「週に1~2回」が17.5%だから、90%近い夫は、ほぼ何も炊事をしていない、と言って良い。
個人的な事情でお恥ずかしいのだが、私は、料理が好きで炊事をほぼ担っており、世間とは正反対であるものの、それはここでは置こう。
世の中の多くの「妻」にとって、「お弁父」は、ほとんど夢の世界に近い。いつか、どこかで「お弁父」が現れたら少しは楽になるのかもしれない。儚い願いが、先にあげた記事の背景にある。
「お弁父」が女性誌で紹介される、もうひとつの理由は、母親のヒントになるからである。
普段は料理をほとんどしない割合が極めて高い父親が、お弁当を作る。そのときに参考になるように考えられているのが「お弁父」である。
つまり、難しくなく、でも、美味しく、そして、父親らしい「イタズラ心」を見せるためのものである。
手軽なのに、子どもから高く評価される。ここに女性雑誌が、すなわち「母」が「お弁父」を求める理由がある。
性別の違いではなく、できるだけ負担を軽くしつつ、でも、栄養バランスと見た目を保ちたい。欲張りかもしれないが、しかし、母親は、いつも、お弁当作りで要求されているのではないか。
■誰も「手作り」を要求していない
いま、「要求されているのではないか」と書いた。
では、「要求している」のは、誰か?
誰もいないのである。
昭和の頃のようにお姑さんが小言を並べるわけでもなければ、上戸彩さんが心配しているような学校の先生のチェックがあるわけでもない。
ほかにも、「夏場は食中毒の心配があります」と指摘する声もあり、「手作り」にも、当たり前とはいえデメリットがある。
パックンの芸名で知られるタレントのパトリック・ハーラン氏は、「出勤の前に母親が子どものお弁当をつくらなければいけないという考え方は捨てていいよ。買ってきたお弁当で十分です」と断言している。
■「手作り=愛情」という見えない規範
それなのに、ここまで「お弁当幻想」が根強いのは、「手作り=愛情」とされる(見えない)規範があるからではないか。「コンビニで済ませる」との言い方に象徴されるような、一段低く劣ったものとして、購入する態度を見る傾向があるからではないか。
では、その規範や傾向は、なぜ、まだあるのか。
それは、ここまで見てきたような家事分担の著しいアンバランスと、ごく一部の「お弁父」の存在から来ている。
ほぼ全ての料理を妻が担っているからこそ、お弁当だけを作らないわけにはいかない、と強く思わざるを得ない。さらには、きわめて少数とはいえ、だからこそ目立つ「お弁父」に刺激されずにはいられない。
内側(家事負担)と、外側(キラキラした父親)、その2つの圧力にさらされれば、さらされるほど、手作り=愛情の思い込みは強くなる。
もちろん、手作りが愛情ではない、というわけでは、まったくない。
■「手作り幻想」から自由になるために
明治から平成までの料理番組を分析した名著『きょうも料理お料理番組と主婦葛藤の歴史』(山尾美香、原書房、2004年)や、近年の「お母さん食堂」事件やポテサラ論争までを分析した近著『 「おふくろの味」幻想誰が郷愁の味をつくったのか』(湯澤規子、光文社新書、2023年)が解き明かすように、誰の、どんな料理であれ、気軽に楽しめば良いのであって、それ以上でもそれ以下でもない。
食べるものは大切である。
だからといって、そこに縛られて「緊張で眠れなくないですか?」とまで悩ませる風潮は、食べる楽しみを失わせる。
手作りであろうとなかろうと、誰が作ったものであっても、美味しく、ありがたく、いただく。
雑誌『たくさんのふしぎ』(2024年1月号)は「食べる」と題して、農業史家の藤原辰史氏が、その「ふしぎ」を説いている。
「食べる」、それも、手作りのものを当たり前と思わずに、「ふしぎ」と思うところから、幻想を手放す手がかりが得られるに違いない。
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神戸学院大学現代社会学部 准教授
1980年東京都生まれ。東京大学大学院学際情報学府博士課程修了。博士(社会情報学)。京都大学総合人間学部卒業後、関西テレビ放送、ドワンゴ、国際交流基金、東京大学等を経て現職。専門は、歴史社会学。著書に『「元号」と戦後日本』(青土社)、『「平成」論』(青弓社)、『「三代目」スタディーズ 世代と系図から読む近代日本』(青弓社)など。共著(分担執筆)として、『運動としての大衆文化:協働・ファン・文化工作』(大塚英志編、水声社)、『「明治日本と革命中国」の思想史 近代東アジアにおける「知」とナショナリズムの相互還流』(楊際開、伊東貴之編著、ミネルヴァ書房)などがある。
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(出典 news.nicovideo.jp)
| なぜ「買ってきたお弁当」ではダメなのか…日本の親たちを苦しめる「手作り弁当こそが愛情」という幻想 ... - Yahoo!ニュース なぜ「買ってきたお弁当」ではダメなのか…日本の親たちを苦しめる「手作り弁当こそが愛情」という幻想 ... Yahoo!ニュース (出典:Yahoo!ニュース) |
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